洗脳準備一歩前進~新しい戦前へ~
作った人の顔が見えないまま「改正教育基本法」が成立し、「防衛省」法案も成立した。『新戦争4法案』の残り2つ「改憲国民投票」「共謀罪」は継続審議となったが、次期通常国会で早期に通過が懸念され、予断を許さない状態が続く。
「上意下達を拝領せよ」「滅私奉公」「太いものには巻かれよ」「年長者の意見には服従せよ」「代議員過半数の意見が全体の意志」「公権力は間違わない」「黙って俺に付いてこい」…… これらが美しき伝統だ。文句のある奴は出て行け。勘当だ。勿論「家長に反抗するなど以ての外」
「権利」から「義務」へ、「国の責任」を「個人の責任」へ、「個人の成果は国のもの」。一度誉めりゃ後は自己責任、自業自得と心得よ。
「大東亜共栄圏だけでなく全世界の平和のため、反体制・反米勢力の殲滅に尽力できる軍隊」を指揮下に持つ防衛省昇格も決まった。民主党も賛成して、である。最高顧問とやらは教育基本法は「対案路線を崩したことが敗因」と考えているようだがお門違いも甚だしい。心情としては将来権力を握ったときに疲弊した愚衆を操作したい気持ちがあるのかも知れない。しかし、仮に自公過半数割れの際には、野党共闘による政権奪取ではなく、「自・民」政権構想を描いているのではないか、そんな憶測が生まれてくる。かつての社会党が凋落したことを忘れて。
記事は、読売2件/ゲンダイ/東京/朝日/読売(解説)/毎日(解説)/朝日(解説)(抗議行動)(抗議声明)
社説 毎日/東京/北海道/沖縄タイムス(2日分)/琉球新報/朝日/読売/産経 計19本
教育基本法与党案成立と公布・施行を伝える記事、そして社説9本。
読売の記事では民主党「最高顧問」の談話が伝えられている。党首が代わった時点で全ての「対案」を撤回し、与党に対抗でき、他の野党にも賛同される「野党案」を策定していれば、流れは変わったかも知れない。
ゲンダイは相変わらずの毒舌。『来年、日本は世界の中で孤立する』この予測は残念なことに的中するだろう。
『今後の教育改革こそが改正成否のかぎとなりそうだ』(毎日)
『来年の通常国会以降、多くの関連法や制度の見直しが本格化する』(朝日)
以下、数紙の社説を見てみよう。多くの新聞が法案成立を警戒・反対の論調だ。ただ2紙だけは「歓迎」で、「左派勢力の反対」「一部マスコミなどの杞憂」が主張されている。反対意見をこれらの「暴言」で封じ込めようとする意図が感じられ、私は不快に思う。特に校長会や教職員の組合などの各種教育団体、学会、世論調査では少なくとも慎重審議を求める声が多かった。「一部」や「左派」とレッテルを貼るにしてはあまりにも大きな「一部」ではなかったか。
全土玉砕寸前の犠牲を払って手に入れた貴重な財産を「古ぼけた」から、負け戦の恥と共に忘れよう!世界の戦争はなくならないから、世界平和に参戦できる「新しい戦前」の時代だ。成長を続けるためには軍需景気が良かったし、兵隊さんも沢山要るから産めよ増やせよ、新富国強兵だ。お国のためなら命差し出してくれなきゃ困るよ。教員は生徒に「考える」暇を与えちゃダメよ。教科書通りに、教えられたとおりに率先垂範しなきゃ。「ガクリョク」下がってるんだからもっともっと詰め込むのよ。学問は苦しいものだから、とにかく暗記。繰り返し「暗唱」して。国の偶章へは直立不動の姿勢が大切。ふらついた回数をしっかりチェックして通信簿に載せること。規律ある式典は軍隊式号令「キョウツケ!」「マエナラエ!」「ケイレイ!」も欠かせないわ。「態度」を評価しなきゃならないんだもの。それが「美しい」のよ。「個性」はいらない。死語辞典に載せなきゃ。
だれもそんなことを理性では考えていない、かも知れない。しかし、本能・感情が世の中を支配してきている現在、杞憂であってほしいと祈らざるを得ない。何に祈ろうか。。。
地球が、そして太陽が崩壊する時まで、人間は生きながらえているのだろうか。
We shall overcome........some day......
『はっきりさせておかなければならないのは、改正法は決して国にフリーハンドを与える全権付与法ではなく、これで教育内容への介入が無制限に許されるものではないことだ』『法改正を説きながら、その実は現行の教育行政組織や諸制度がきちんと運用しきれていないという有り様を露呈したのだ。次の国会で基本法に連動する学校教育法など関連法規の改正審議が始まる。日常の教育現場に直接かかわってくるのはこれだ。注意をそらしてはいけない。基本法改正審議の中であいまいだった諸問題や疑念をただす機会だ。「一件落着」では決してない。』(毎日)
『一部に伝えられる「占領軍による押しつけ」論は誤解とするのが大勢の意見だ』『「新しい」憲法と「新しい」教育基本法に貫かれているのは権力拘束規範から国民の行動拘束規範への価値転換だ』『今回の教育基本法改定に現場からの切実な声があったわけでも、具体的問題解決のために緊急性があったわけでもない。むしろ公立小中学校長の三分の二が改定に反対したように、教育現場の賛同なき政治主導の改正だった』『時代と教育に関心をもち続けたい』(東京)
『しかし、教育荒廃の原因は基本法に問題があったからではない。むしろ、文科省や教育委員会が、基本法の理念を軽視し、実現に向けた努力を怠ってきたのが現実ではないか』(北海道)
『「世論誘導」と指摘された教育改革タウンミーティングでのやらせ質問をめぐる報告書は参院の集中審議後に公表された。処分だけで済む問題ではないし、国民も納得できないはずだ』『慎重審議よりも改正ありき』『本末転倒の改正』
『民意をないがしろにしてきた過去の教育行政の検証もなく、内閣不信任決議案や問責決議案などが飛び交う中での力ずくの成立』『それにしても、政治が教育内容に踏み込む道が開かれたのは納得できず、残念でならない』『返す返すも歴史に禍根を残したと言わざるを得ない』『法律は行為の在り方を定めるのであって、心の在り方を決めるものではない』『教育全体をどうするかの哲学に欠けていた』(沖縄タイムス)
『成立ありき』『なぜ教育基本法改正が必要なのか、改正で教育をどう変えていくのかなど、改正の本体を問う論議は少なかった』『教育は「国家100年の大計」といわれる。その理念を定めた基本法が国民合意とはほど遠く、数を頼みの成立では、将来に禍根を残すことになる』『教育を取り巻く問題がすべて現行の教育基本法にあるとするのは、無理がある』『むしろ、現行法の最も重要な理念である「個の尊重」が、教育現場で本当に生かせるような枠組みづくりが必要なのではないか』(琉球新報)
『教育と防衛「戦後」がまた変わった』『日本はこの先、どこへ行くのだろうか』『いまの教育基本法は、戦前の教育が「忠君愛国」でゆがめられ、子どもたちを戦場へと駆り立てたことを反省し、国民の決意を表す法律としてつくられた』『国の教育行政に従え』『法の成立を急いだことが残念でならない』(朝日)
『「教育の憲法」の生まれ変わりは新しい日本の教育の幕開けを意味する』『左派勢力の「教育勅語、軍国主義の復活だ」といった中傷にさらされ』『条文に愛国心を盛り込むことに、左派勢力は「愛国心の強制につながり、戦争をする国を支える日本人をつくる」などと反対してきた』『平和国家を築き上げた今の日本で、自分たちが住む国を愛し、大切に思う気持ちが、どうして他国と戦争するというゆがんだ発想になるのだろう』『ともあれ、改正基本法の成立を歓迎したい』『子どもたちの白紙の心に、正しくしっかりと教えてもらいたい』『学校や地域の創意工夫の芽が摘まれることのないよう、現場の裁量の範囲を広げる施策も充実させてほしい』(読売)
『新しい理念…は、戦後教育で軽視されがちだった教育理念』『一部のマスコミや野党は愛国心が押しつけられはしないかと心配するが』『日本の歴史を学び、伝統文化に接することにより、自然に養われるのである』『国旗国歌法や指導要領などを無視した一部の過激な教師らによる違法行為』『戦後教育の歪(ゆが)みを正し、健全な国家意識』(産経)
以上、抜粋。 以下全文
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061219ia21.htm
臨時国会が閉幕、改正教育基本法など25法案成立
第165臨時国会は19日、85日間の会期を終え、閉幕した。
安倍内閣が最重要法案と位置づけた改正教育基本法や防衛庁の省昇格関連法など、25本の法律が成立した。一方、憲法改正の手続きを定めた国民投票法案や「共謀罪」創設を柱とした組織犯罪処罰法改正案は継続審議になった。
(2006年12月19日18時23分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061217ia21.htm
民主の教育基本法審議、渡部氏「分かりにくかった」
民主党の渡部恒三最高顧問は17日のフジテレビ報道番組で、改正教育基本法の審議への対応について、「党首が代わって社民党、共産党と一緒にやることを重視したから、対案路線か対決路線か中途半端になり、あっちに行ったりこっちに行ったりで非常に国民に分かりにくかった」と述べ、小沢代表の主導で野党共闘を進めたことを批判した。
渡部氏は「教育をこれからどうするかということについて、自民党も民主党も共通の考え方があった。前の国会までは対案路線で、ただ反対するのではなかった」と語った。
(2006年12月17日19時44分 読売新聞)
http://gendai.net/?td=20061215
来年、日本は世界の中で孤立する
ブッシュ政権の政策転換によって世界情勢が急変しつつある。イラク戦争でブッシュ米国が敗北し、悪の枢軸と名指し敵対していたイランとも接近中。北朝鮮とも核保有をめぐって2国間の妥協となりそうな雲行きだ。こうした世界の急変に対応できず、いまだに小泉政治の呪縛から抜けられず取り残されているのが、わが安倍政権だ。国際政治の流れを読めず、年明けには確実に孤立しそうだ。実際、18日からの6カ国協議は、あからさまな「日本外し」で進むだろう。為替相場でも仲間外れだ。年内利上げをもくろんだ日銀を安倍首相が牽制して、日米の金利差はなかなか縮まらない。無能・無責任の安倍政権をこのままやらせていたらこの国は大変なことになる。
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006121901000209.html
改正教基法22日施行見込み 政府、公布を閣議決定
政府は19日午前の閣議で、15日に成立した改正教育基本法の公布を決定した。官報への掲載をもって公布とするが、通例掲載は公布決定の3日後のため22日となる見込み。公布の日から施行される。
改正教基法は前文と18条で構成。1947年の制定以来、59年ぶりに初めて全面改正された。「公共の精神」の重要性を強調し、教育の目標に「国と郷土を愛する態度を養う」ことなどを掲げるなど、現行法と比べ、「公」重視を打ち出した。
新たに「生涯学習の理念」「家庭教育」などの条項を盛り込んだほか、政府は教育の政策目標となる教育振興基本計画を定め、国会に報告、公表すると規定した。
(共同) (2006年12月19日 11時40分)
http://www.asahi.com/national/update/1219/TKY200612190167.html?ref=rss
改正教育基本法、公布・施行は22日から
2006年12月19日10時55分
政府は19日の閣議で、15日に成立した改正教育基本法を公布することを決めた。22日の官報に掲載、公布され、即日施行される見通し。同基本法は前文と18カ条からなり、改正は59年ぶり。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061215ia23.htm
改正教育基本法と省昇格関連法が可決・成立
安倍内閣が今国会の最重要課題と位置づける改正教育基本法と防衛庁の省昇格関連法が15日の参院本会議でいずれも賛成多数で可決、成立した。
これに先立ち、衆院は同日午後の本会議で、民主、共産、社民、国民新の野党4党が提出した安倍内閣不信任決議案を自民、公明両党の反対多数で否決した。参院本会議では、野党提出の伊吹文部科学相の問責決議案が否決された。
国会は、会期を19日まで4日間延長したが、予定された法案処理は終了し、事実上閉幕した。
改正教育基本法の採決では、自民、公明両党が賛成、民主党はじめ野党は反対した。「教育の憲法」とも言われる教育基本法の改正は、1947年の制定以来初めて。改正法は、前文と18条で構成。公共の精神の尊重を強調し、現在の教育環境に即して、生涯学習や大学などに関する条文を追加した。教育目標に「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現で、「愛国心」も新たに盛り込んだ。
また、年限の弾力化を含めた将来の義務教育議論を進めるため、義務教育年限の「9年」を削除した。
成立を受け、今後の焦点は、安倍内閣が「教育再生」の具体策をどう打ち出すかに移る。伊吹文部科学相は15日夜の記者会見で「教員免許更新制の導入は最優先の課題だ」と述べ、来年の通常国会に関連法案提出を目指す考えを示した。また、改正法に盛り込まれた教育振興基本計画については、2007年度中の策定を目指す考えを示した。
教育基本法改正は、00年12月に森首相(当時)の私的諮問機関「教育改革国民会議」が、教育基本法見直しの必要性を提言したことを契機に、中央教育審議会(文科相の諮問機関)や与党間で検討を開始。政府は今年4月に改正案を閣議決定し、国会に提出した。
一方、防衛庁の省昇格関連法は、与党と民主党、国民新党などが賛成、共産、社民両党が反対した。1954年の防衛庁発足後、半世紀余を経て、来年1月9日から「防衛省」となる。
関連法は、内閣府の外局である防衛庁を独立した省に移行させ、防衛長官を防衛相に改称するほか、自衛隊の国際平和協力活動や、在外邦人輸送、周辺事態での後方地域支援などの活動を「付随的任務」から「本来任務」に格上げするのが主な内容だ。防衛施設庁を07年度に廃止し、防衛省に統合することも盛り込んだ。
防衛省になれば、現在は内閣府の長である首相が権限を持つ閣議への議案提案や財務相への予算要求を、防衛相が直接できるようになる。文民統制や専守防衛、非核三原則などの防衛政策の基本は変更されない。
(2006年12月16日0時45分 読売新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/gyousei/news/20061216ddp041010032000c.html
改正教育基本法:成立 「価値観統一は不可能」 教育現場、国の強制に懸念
◇「愛国心」に戸惑い
「教育の憲法」と言われ、戦後日本の発展を下支えした教育基本法の改正案が15日、参院本会議で可決された。1947年3月の制定以来初の改正だ。
いじめ、履修単位不足問題、大学全入時代到来など屋台骨を揺さぶられる日本の教育。「愛国心」表記、義務教育年限撤廃などの項目はそのあり方を大きく変える可能性を秘める。
法改正の焦点となった「愛国心」。「我が国と郷土を愛する態度を養う」と表現され、「他国の尊重」も組み合わせたが、意見は分かれた。
鹿児島大教育学部の池田貴裕さん(22)は「国を愛する態度の育成は強制するものではない。まずは家庭、友を愛する心を育てることからではないか」。逆に、福岡教育大の桜井篤さん(20)は「今の子供たちには国を愛する姿勢が欠落している」と改正に賛成だ。
教師たちは子供たちの「愛国心」をどう評価するかに疑問を呈した。大分県内の公立中男性教師(45)は「一つの価値観に染めるのは不可能。思考法の向上度合いなどを評価するなら理解できるが、(国を愛する)態度の評価は無理だ」。
北九州市八幡東区で3児を育てる主婦、早見はるみさん(45)も「『国』とは何を意味するかが問題。生活環境という意味なら大切にすることを教えることは当然だが、政治的な意味ならあまりいいことではないし、学校で教えることなのか」と首をひねった。
■家庭にも責任
改正法は「保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と、家庭の責務を盛り込んだ。福岡市立中の男性教師(31)は「ありがたい」と率直に評価する。「学校からは家庭に言いたくても言えないことが多かった。学校と家庭の連携を積極的にアピールできる」と受けとめた。
一方、福岡市東区の自営業、山崎孝広さん(52)は「今の受験体制では、本質的には何も変わらない。先生たちが戸惑うだけではないだろうか」と急激な切り替えによる影響を心配した。
■9年固執せず
義務教育年限が削除されたのも特徴だ。関連法令が改正されれば、自治体判断で9年より長くも短くもなり得る。
愛知県北名古屋市の中学教頭(47)は「現場は劇的に変わる。教師も意識を変えなければ」。岩手県盛岡市立中の男性教師(39)は「飛び級も可能になる。エリート教育が重視され、格差社会に拍車がかかるのでは」と心配点を語った。
兵庫県西宮市の団体職員(44)は「教育現場の競争がより強まり、いじめや不登校問題がより深刻化するのでは」。札幌市の女性教師(49)は「学校教育法など個別の法改正まで進まないと学校は変わらない」。今後の教育改革こそが改正成否のかぎとなりそうだ。
毎日新聞 2006年12月16日 西部朝刊
http://www.asahi.com/politics/update/1215/008.html
改正教育基本法が参院可決・成立 59年ぶり初の見直し
2006年12月15日21時55分
安倍首相が今国会の最優先課題に掲げた改正教育基本法が15日、参院本会議で与党の賛成多数で可決され、成立した。戦前の教育の反省から「個の尊重」をうたう基本法は、制定から59年を経て「公の精神」重視に転じた。国会での論戦では、教育への国家介入強化の懸念も指摘された。「教育の憲法」とも呼ばれる基本法が改正されたことで、来年の通常国会以降、多くの関連法や制度の見直しが本格化する。
教育基本法改正案が可決され議場に一礼する伊吹文科相=15日午後5時51分、国会内で(写真)
前文と11カ条という短さの現行法に比べ、改正法には「大学」や「私立学校」「家庭教育」など、新たに七つの条文が加わった。条文の数以上に大きく変わったのは、「個」の尊重から「公」の重視へという根幹をなす理念の変更であり、論争の的になってきた「不当な支配」論に一定の整理がなされたことだ。
改正法の前文でも、現行法にある「個人の尊厳を重んじ」という表現は引き継がれた。だがさらに、「公共の精神を尊び」という文言が加わったことに特徴がある。
「個」の尊重は、教育勅語を中心とする戦前の「国家のための教育」の反省のうえに築かれた、日本国憲法に通じる理念だ。保守層は「行き過ぎた個人主義がまかり通り、公の尊重が置き去りにされている」と繰り返し改正を求めてきた。
国会の審議で、とりわけ議論された末に、新設されたのは「愛国心」条項だ。「伝統と文化を尊重し、我が国と郷土を愛する態度を養う」という表現をめぐり、改正反対派からは「一方的に国が望むような価値観を押しつけるのはおかしい」という指摘が相次いだ。
安倍首相は「日本の伝統と文化を学ぶ姿勢や態度は評価対象にする」と答弁しており、学校現場に与える影響は少なくないとみられる。
もう一つの大きな変更は、国の教育現場への介入がどこまで正当化され得るのか、という点だ。
だれのどういった行為が「不当な支配」にあたるかは、法廷闘争にもなってきた。教職員組合や教育の研究者の多くが「教育内容への国家介入を防ぐための条項だ」と位置づけるのに対し、国は「法に基づいた教育行政は不当な支配にあたらない」という立場をとってきた。
最高裁は76年の大法廷判決で「どちらの論理も一方的」として、国家はある程度教育内容を決められる一方、不当な支配の主体にもなりうるとの解釈を示した。
今回の改正で、教育行政は「法律により行われる」と明記されたことで、国の介入が「不当な支配」と解釈される余地が狭まることは確実だ。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200612130383.html
教育基本法改正に反対し、キャンドル片手に人間の鎖
2006年12月14日01時32分
議員会館前で、キャンドルを手に教育基本法改正に反対する人たち=13日夕、東京・永田町で
教育基本法改正案の成立が週内にも予想されるなか、改正に反対する市民や有識者ら約4000人(主催者発表)が13日夕、国会議事堂周辺で「ヒューマン・チェーン(人間の鎖)」を行った。
この催しは11月8日に始まり、今回が4回目。キャンドルを片手にした参加者は口々に「心を法律で縛るな」「教育格差を広げるな」などと訴えた。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200612150280.html
教育基本法「慎重に」 東大教員らが声明
2006年12月15日16時13分
教育基本法の改正をめぐる国会審議について、東大教育学部の教員らが13日、「慎重な徹底審議を求める」声明を出した。「教育関係者の多くは改正反対であり、国民の同意が得られないままの採決は教育の発展に大きな禍根を残す」としている。
教授会のメンバー34人のうち23人が賛同している。佐藤一子教授(社会教育学)は「国民の批判的な精神や自由な学習活動に制約が加えられるのではないか」と訴えた。
---以下、社説---
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061216ddm005070123000c.html
社説:新教育基本法 これで「幕」にしてはいけない
教育基本法改正案が成立した。なぜ今改正が必要なのか。私たちは問いかけてきたが、ついに明確にされないまま国会は幕切れとなった。「占領期の押しつけ法を変える」ことが最大の動機とみるべきなのか。そうだとすれば「教育」が政治利用されたことになる。
だが法として成立する以上、全国の教育現場はこれと向き合う。まず公共心や国の権能を重視する改正法の特徴の一つは「教育の目標」だ。5項に整理して徳目を列記し「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度」を盛り込む。子の教育は保護者に第一義的責任があると明記し、生涯学習や幼児期の教育の必要性も説く。そして全体的な教育振興基本計画を国が定め、地方公共団体はこれを見ながら施策計画を定めるという。
個別の徳目や親の責任などは自然な理想や考え方といえるだろう。ただ、列記しなくても、これらは現行法下の教育現場でも否定されてはいない。授業や生活を通じて学び取っていることではないか。網羅しなくても、生涯学習や幼児教育などの分野は社会に定着しており、是正が必要なら基本法をまたず個別にできるはずだ。
列記されることで、これらの考え方が押しつけられたり、画一的な形や結果を求める空気が広がりはしないか。振興基本計画に忠実である度合いを各地方が競い合うことになりはしないか--。
こうした疑問や懸念を学校など教育現場は持つが、国会審議ではこれに答えていない。はっきりさせておかなければならないのは、改正法は決して国にフリーハンドを与える全権付与法ではなく、これで教育内容への介入が無制限に許されるものではないことだ。改正法第16条の「法律の定めるところにより行われる」の記述によって「国が法に沿って行えば、禁じられた『不当な支配』にはならない」と政府見解はいう。
だが教育権などについて争った旭川学力テスト事件最高裁判決(1976年)は、国の介入を認めつつも「必要かつ相当な範囲」とし、また「不当な支配」とは「国民の信託に応えない、ゆがめる行為」との考え方を示した。恣意(しい)的介入を戒めたもので、国は抑制的な姿勢を常に忘れてはならない。
国会審議に並行して、いじめ、大量履修不足、タウンミーティングのやらせ発言工作など、事件と呼ぶべき問題や不祥事が相次いだ。新時代にふさわしい基本法をといいながら、内閣、文部科学省、教育委員会など行政当局は的確な対処ができず、後手に回って不信を広げた。法改正を説きながら、その実は現行の教育行政組織や諸制度がきちんと運用しきれていないという有り様を露呈したのだ。
次の国会で基本法に連動する学校教育法など関連法規の改正審議が始まる。日常の教育現場に直接かかわってくるのはこれだ。注意をそらしてはいけない。基本法改正審議の中であいまいだった諸問題や疑念をただす機会だ。
「一件落着」では決してない。
毎日新聞 2006年12月16日 東京朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20061216/col_____sha_____001.shtml
社説 行く先は未来か過去か 教育基本法59年ぶり改定
教育基本法が五十九年ぶりに改定された。教育は人づくり国づくりの基礎。新しい時代にふさわしい法にとされるが、確かに未来に向かっているのか、懸念がある。
安倍晋三首相が「美しい国」実現のためには教育がすべてとするように、戦後日本の復興を担ってきたのは憲法と教育基本法だった。
「民主的で文化的な国家建設」と「世界の平和と人類の福祉に貢献」を決意した憲法。
その憲法の理想の実現は「根本において教育の力にまつべきものである」とし、教育基本法の前文は「個人の尊厳を重んじ」「真理と平和を希求する人間の育成」「個性ゆたかな文化の創造をめざす」教育の普及徹底を宣言していた。
■普遍原理からの再興
先進国中に教育基本法をもつ国はほとんどなく、法律に理念や価値を語らせるのも異例だが、何より教育勅語の存在が基本法を発案させた。
明治天皇の勅語は皇民の道徳と教育を支配した絶対的原理。日本再生には、その影響力を断ち切らなければならなかったし、敗戦による国民の精神空白を埋める必要もあった。
基本法に込められた「個人の尊厳」「真理と正義への愛」「自主的精神」には、亡国に至った狭隘(きょうあい)な国家主義、軍国主義への深甚な反省がある。より高次の人類普遍の原理からの祖国復興と教育だった。
一部に伝えられる「占領軍による押しつけ」論は誤解とするのが大勢の意見だ。のちに中央教育審議会に引き継がれていく教育刷新委員会に集まった反共自由主義の学者や政治家の熟慮の結実が教育基本法だった。
いかなる反動の時代が来ようとも基本法の精神が書き換えられることはあるまいとの自負もあったようだ。しかし、改正教育基本法は成立した。何が、どう変わったのか。教育行政をめぐっての条文改正と価値転換に意味が集約されている。
■転換された戦後精神
教育が国に奉仕する国民づくりの手段にされてきた戦前の苦い歴史がある。国、行政の教育内容への介入抑制が教育基本法の核心といえ、一〇条一項で「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」となっていた。
国旗・国歌をめぐる訴訟で、東京地裁が九月、都教育委員会の通達を違法とし、教職員の処分を取り消したのも、基本法一〇条が大きな根拠だった。各学校の裁量の余地がないほど具体的で詳細な通達を「一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制する『不当な支配』」としたのだった。不当な支配をする対象は国や行政が想定されてきた。
これまでの基本法を象徴してきた「不当な支配」の条文は、改正教育基本法では一六条に移され「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と改められた。
政令や学習指導要領、通達も法律の一部。国や行政が不当な支配の対象から外され、教育内容に介入することに正当性を得ることになる。この歴史的転換に深刻さがある。
前文と十八条からの改正教育基本法は、新しい基本法といえる内容をもつ。教育基本法の改定とともに安倍首相が政権の最重要課題としているのが憲法改正だが、「新しい」憲法と「新しい」教育基本法に貫かれているのは権力拘束規範から国民の行動拘束規範への価値転換だ。
自民党の新憲法草案にうかがえた国民の行動規範は、改定教育基本法に「公共の精神」「伝統と文化の尊重」など二十項目以上の達成すべき徳目として列挙されている。
権力が腐敗し暴走するのは、歴史と人間性研究からの真理だ。その教訓から憲法と憲法規範を盛り込んだ教育基本法によって権力を縛り、個人の自由と権利を保障しようとした立憲主義の知恵と戦後の基本精神は大きく変えられることになる。
公共の精神や愛国心は大切だし、自然に身につけていくことこそ望ましい。国、行政によって強制されれば、教育勅語の世界へ逆行しかねない。内面への介入は憲法の保障する思想・良心の自由を侵しかねない。新しい憲法や改正教育基本法はそんな危険性を内在させている。
■悔いを残さぬために
今回の教育基本法改定に現場からの切実な声があったわけでも、具体的問題解決のために緊急性があったわけでもない。むしろ公立小中学校長の三分の二が改定に反対したように、教育現場の賛同なき政治主導の改正だった。
現場の教職員の協力と実践、献身と情熱なしに愛国心や公共の精神が習得できるとは思えない。国や行政がこれまで以上に現場を尊重し、その声に耳を傾ける必要がある。
安倍首相のいう「二十一世紀を切り開く国民を育成する教育にふさわしい基本法」は、同時に復古的で過去に向かう危険性をもつ。改定を悔いを残す思い出としないために、時代と教育に関心をもち続けたい。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20061216&j=0032&k=200612163221
■社説 隅へ押しやられる「自由」*改正教育基本法が成立(12月16日)
憲法とともに戦後日本の民主主義を支えた教育基本法が改正された。
改正法は「わが国と郷土を愛する態度」などを条文に盛り込んだ。戦後教育の枠組みと理念を根底から変える内容だ。
新しい法律の下で、教育はどう変わるだろう。
「国を愛せ」と教師が子供たちに強く求める場面が起きないか。そんな授業を受ける子供たちの態度が「評価」につながらないか。教育現場の創意工夫はどこまで生かされるだろう。
こうした点の審議が必ずしも十分だったとは思えない。改正に国民の合意ができていたともいえない。
数の力を背景に、今国会で改正法の成立を図った政府・与党のやり方は強引だった。
安倍首相は、占領時代に制定された教育基本法と憲法の改正は、「自民党結党以来の悲願」だとしていた。
それほど重要なら、国民への丁寧な説明と合意形成の真摯(しんし)な努力を重ねる必要があったはずだ。
次の課題は憲法改正ということになるのか。国の基本にかかわる問題で、「数の力」に頼る姿勢は、許されるものではない。
*「国家」重視に軸足を移す
教育基本法は一九四七年、戦前の国家中心教育への深い反省を踏まえて制定された。
前文で「個人の尊厳」を基本とする教育理念を掲げ、憲法の理念の実現を「教育の力」に託した。
これに対し、改正法は「わが国と郷土を愛する態度」や「公共の精神」などの徳目を「教育目標」に掲げた。
教育理念の軸足を「個人」から「国家社会」の重視に移した。
しかし、そもそも法で、内心にかかわる「教育目標」を定めることは、憲法が保障する「思想と良心の自由」にそぐわないのではないか。
中国や旧ソ連のような社会主義国を除けば、多くの先進国では「国を愛する態度」のような内心の問題まで国法では定めていない。
教育目標に徳目を並べ、評価までするという日本の教育は、異質と見られるのではないか。
「わが国や郷土を愛する態度」を自然にはぐくむことは、国民として大切なことだろう。
「公共の精神」を身につけることも、社会生活を営むうえで欠かせない。
それを法律に書き込み、子どもが学ぶ態度まで評価するとなると話は別だ。国による管理や統制が過度に強まる懸念がぬぐえない。
*法の名の下で行政介入も
改正法で見逃せないのは、教育行政のあり方に関する条文の変更だ。
改正前の基本法一○条は、教育は「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負う」と定めている。
戦前の国家統制への反省を踏まえ、行政の教育への介入を防ぐ役割を果たしてきた。
改正法は、「国民全体に対し直接に責任を負う」という文言を削除し、新たに「法律の定めるところ」によって教育を行うと定めた。
現場の教師はこれまで、「国民全体に直接に責任を負う」という条文があったからこそ、父母や子どもたちとともに、創意工夫のある教育活動を試みることができた。
しかし、法改正によって、時の政府が法律や指導要領を決め、それに基づいて教育内容が厳密に規定されれば、教員は行政の一員としての役割を強いられる。
教育法学者からは、政治や官僚の不当な圧力からの独立と自由を目指した当初の立法の趣旨が、法改正で逆転したという見方が出ている。
文科省は教員評価制度の導入を一部の学校で始めている。制度の運用によっては、教師の仕事が国の決めた教育目標をどこまで実現したかという観点から評価されかねない。
こうした問題をはらんでいたからこそ国民の間に懸念の声は強かった。
東大が十月にまとめた全国アンケートでは、公立小中学校の管理職の三人に二人が「現場の混乱」を理由に改正に反対していた。
ところが安倍首相は国会で「国民的合意は得られた」と繰り返した。
政府のタウンミーティングでは、姑息(こそく)な世論誘導も明らかになった。
*施策の吟味が欠かせない
「教育基本法は個人の価値を重視しすぎている。戦後教育は道徳や公共心が軽視され、教育の荒廃を招いた」
自民党内の改正論者は、このように基本法を批判してきた。
教育現場は、子どもの学力低下やいじめなど多くの課題を抱えている。しかし、教育荒廃の原因は基本法に問題があったからではない。
むしろ、文科省や教育委員会が、基本法の理念を軽視し、実現に向けた努力を怠ってきたのが現実ではないか。
文科省は今後、改正法に基づき具体的な教育政策を網羅した「教育振興基本計画」を策定する。
教育改革の名のもとに打ち出される施策の中身を、学校現場と父母は十分に吟味し、子どもの成長に役立つ施策かどうかを見極める必要がある。
改正法の下での教育現場の変化を、注意深く見守らねばなるまい。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20061215.html#no_1
社説(2006年12月15日朝刊)[教育基本法改正]論議なお足りず禍根残す
参院教育基本法特別委員会は、戦後教育の基本を大転換させる教育基本法改正案を与党の賛成多数で可決した。十五日にも参院本会議で成立する見通しだ。
だが、そもそもなぜ今改正を急ぐ必要があるのか。これでいじめや自殺、不登校、未履修問題、学力低下などを解決できるのか。疑念がぬぐえない。
法改正では解決できない。個別の問題について議論を重ね、原因を究明した上で教育改革の在り方を論議するのが筋だった。
教育は国家百年の計である。政府、与党は審議は十分尽くされたと強調しているが、論議はなお不十分と言わざるを得ない。国民的論議も尽くされておらず、これでは禍根を残す。
一九四七年制定の教育基本法は憲法とともに戦後教育を支えてきた。制定以来初の改正には、戦後教育を否定する政治的な意味合いがある。
改正案は、前文で「公共の精神を尊び」と明記し、教育の目標として「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことなどを掲げ、「愛国心」重視の姿勢をにじませている。
「愛国心」評価について、安倍晋三首相は「子どもの内心に立ち入って評価することはない」と述べた。だが先取りして評価項目に加えていた学校もあり、額面通りには受け取れない。
現行法は、教育行政について「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」とする。一方、改正法案は「教育は、不当な支配に服することなく、この法律および他の法律の定めるところにより行われるべき」とした。
従来、国家による教育への介入を抑制すべきだとされてきたが、改正法案によれば公権力による介入に対する歯止めがなくなる恐れがある。
「世論誘導」と指摘された教育改革タウンミーティングでのやらせ質問をめぐる報告書は参院の集中審議後に公表された。処分だけで済む問題ではないし、国民も納得できないはずだ。
安倍首相は「戦後体制からの脱却」を打ち出し、米占領体制下で制定された憲法と教育基本法の改正、自主制定を最重要課題として掲げてきた。
教育基本法案の慎重審議よりも改正ありきである。安倍政権にとっては憲法改正への布石にもなるからだ。
だが政治主導の復古主義的な法改正は子どもたちの可能性を封じ、格差社会、教育格差を固定化しかねない。本末転倒の改正としか言いようがない。
沖縄は本土と異なる歴史を歩んできた。「愛国心」教育が少数派の沖縄の子どもたちに将来どのような影響を及ぼすのかも、危惧せざるを得ない。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20061216.html#no_1
社説(2006年12月16日朝刊)[改正教基法成立]政治に翻弄されるな
安倍内閣が今国会の最重要法案と位置付けていた改正教育基本法が自民、公明の与党の賛成多数で可決、成立した。一九四七年の制定以来、野党がこぞって反対する中での改正である。
「世論誘導」と非難されたタウンミーティングに象徴されるように、民意をないがしろにしてきた過去の教育行政の検証もなく、内閣不信任決議案や問責決議案などが飛び交う中での力ずくの成立である。
不信任案の提案理由を説明した民主党の菅直人代表代行は「政府主催タウンミーティング(の運営)を官僚に丸投げする姿勢こそが安倍内閣の改革が偽者であることの証明だ」と厳しく批判した。
これに対して、自民党の石原伸晃幹事長代理は「タウンミーティング問題で給与を国庫返納した首相のけじめは誠に潔い。内閣不信任案は正当性もなく、まったく理不尽だ」と反対した。
国民はどう思っただろうか。国会で多数派をとれば、何でも介入できる道が開かれるという「数の力」への諦念、あるいは無力感ではないのか。
約六十年ぶりの改正審議は、改正教基法の成立を最優先した政府、与党の思惑で事実上閉幕したと言えよう。
それにしても、政治が教育内容に踏み込む道が開かれたのは納得できず、残念でならない。
改正教基法には、これまで歯止めとなってきた「教育は不当な支配に服することなく」との言葉は残ったが、「この法律及び他の法律によって行われるべき」との文言が加わった。
「法に基づく命令、指導は不当な支配ではない」(政府答弁)としているように、歯止めは限りなく無力化されている。
教育が政治に翻弄される宿命を負うことになりかねない。返す返すも歴史に禍根を残したと言わざるを得ない。
安倍晋三首相は「新しい時代にふさわしい基本法の改正が必要」と国会審議で繰り返し、現行法の「個」の尊重から「公」重視へと基本理念を変えた。新たに「公共の精神」「伝統と文化の尊重」などの理念も掲げた。
だが、こうした理念がいじめなど現代の子どもの抱える問題の解決につながるかどうかは極めて疑問だ。
日本人として、国と郷土を愛することは当然である。しかし、「内心の自由にはなにびとも介入できない」ように、法律は行為の在り方を定めるのであって、心の在り方を決めるものではない。
安倍首相の教育改革論議は、現状を打破したいあまりに教育全体をどうするかの哲学に欠けていたと言いたい。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-19725-storytopic-11.html
社説 教育基本法改正・懸念は残されたままだ
教育基本法の改正案が参院本会議で与党の賛成多数で可決、成立した。1947年の制定以来、59年目にして初めて改定となった。
教育基本法改正案は、衆院特別委員会、本会議でも与党の単独で採決され、参院でも与党単独での力ずくの採決となった。与党側は、審議は十分尽くしたとするが、果たしてそうだろうか。「成立ありき」の感がぬぐえない。
国会での論議を聴いていても、高校の社会科未履修問題などに時間が割かれた。そのことは重要だが、なぜ教育基本法改正が必要なのか、改正で教育をどう変えていくのかなど、改正の本体を問う論議は少なかった。政府側の説明も不十分だった。
教育が現在、解決すべき問題を抱えていることは、多くの国民の共通の認識だろう。しかし、その解決が教育基本法改正とどうつながるのか、政府、与党から明確な答えを聞くことはできなかった。
教育基本法は、憲法と同じく戦後の日本の進むべき方向性を示してきた重要な法律だ。改正は慎重の上にも慎重を期して当然だ。
教育は「国家100年の大計」といわれる。その理念を定めた基本法が国民合意とはほど遠く、数を頼みの成立では、将来に禍根を残すことになる。
改正する理由について政府、与党は「個人重視で低下した公の意識の修正」や「モラル低下に伴う少年犯罪の増加など教育の危機的状況」などを挙げる。
しかし、教育を取り巻く問題がすべて現行の教育基本法にあるとするのは、無理がある。
安倍晋三首相は、いじめ問題などについて「対応するための理念はすべて政府案に書き込んである」と繰り返した。「公共の精神」や「国を愛する態度」といった精神論を付け加えることで果たして問題が解決できるのか。
むしろ、現行法の最も重要な理念である「個の尊重」が、教育現場で本当に生かせるような枠組みづくりが必要なのではないか。
教育と政治の関係も大きく変わる。現行法では「教育は、不当な支配に服することなく」とされているが、改正法では「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」が付け加えられた。
国会で多数をとって法律を制定させれば、教育内容に介入することも容易になる。教育が時の政権の思惑によって変えられることになりはしないか。
改正法が成立したことで、政府は教育振興基本計画を定め、関連法案の改正に着手する。しかし、基本法改正への懸念は残されたままだ。政府は、計画策定などの論議の中で国民の懸念に十分に応える必要がある。
(12/16 9:38)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
【社説】2006年12月16日(土曜日)付 教育と防衛 「戦後」がまた変わった
改正教育基本法と、防衛庁を「省」に昇格させる改正防衛庁設置法が、同じ日に成立した。
長く続いてきた戦後の体制が変わる。日本はこの先、どこへ行くのだろうか。
安倍首相は著書「美しい国へ」で、戦後の日本が先の戦争の原因をひたすら国家主義に求めた結果、国家すなわち悪との見方が広まった、と指摘する。
そして、国家的な見地からの発想を嫌うことを「戦後教育の蹉(さ)跌(てつ)のひとつである」と書いている。
そのつまずきを正し、国家という見地から教育を見直したい。安倍首相には、そんな思いがあったのだろう。
教育基本法の改正で焦点となったのは「愛国心」である。改正法には「(伝統と文化を)はぐくんできた我が国と郷土を愛する」という文言が盛り込まれた。公明党は当初、「国を大切にする」を提案したが、官房長官だった安倍氏は「国は鉛筆や消しゴム並みではない」と述べて、「愛する」にこだわった。
教育の独立を規定した条項も改正の対象になった。
いまの教育基本法は、戦前の教育が「忠君愛国」でゆがめられ、子どもたちを戦場へと駆り立てたことを反省し、国民の決意を表す法律としてつくられた。「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われる」と定めている。国の政治的な介入に対しても歯止めをかけた。
その文言の後段が「法律の定めるところにより行われる」と改められた。現行法とはちがって、国の教育行政に従え、ということになりかねない。
安倍首相は、防衛のあり方についても「美しい国へ」で異を唱えている。
安全保障を他国にまかせ、経済を優先させて豊かになった。「だが精神的には失ったものも大きかったのではないか」と述べている。
日本は戦後、再び持った武力組織を軍隊にはせず、自衛隊とした。組織も内閣府の外局に置いた。自衛隊や防衛庁の抑制的なありようは、軍事に重きを置かない国をつくろうという国民の思いの反映であり、共感を得てきた。
省に昇格したからといって、すぐに自衛隊が軍になり、専守防衛の原則が変わるわけではない。それでも、日本が次第に軍事を優先する国に変わっていくのではないか。そこに愛国心教育が加わると、その流れを加速するのではないか。そんな心配がぬぐえない。
二つの法律改正をめぐっては、国民の賛否も大きく分かれていた。その重さにふさわしい審議もないまま、法の成立を急いだことが残念でならない。
戦後60年近く、一字も変えられることのなかった教育基本法の改正に踏み切った安倍首相の視線の先には、憲法の改正がある。
この臨時国会が、戦後日本が変わる転換点だった。後悔とともに、そう振り返ることにならなければいいのだが。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061215ig90.htm
12月16日付・読売社説 [教育基本法改正]「さらなる国民論議の契機に」
教育基本法が一新された。1947年(昭和22年)の制定から60年、初めての改正だ。
「教育の憲法」の生まれ変わりは新しい日本の教育の幕開けを意味する。この歴史的転換点を、国民全体で教育のあり方を考えるきっかけとしたい。
見直しの必要性を説く声は制定の直後からあった。そのたびに左派勢力の「教育勅語、軍国主義の復活だ」といった中傷にさらされ、議論すらタブー視される不幸な時代が長く続いた。
流れを変えた要因の一つは、近年の教育の荒廃だった。いじめや校内暴力で学校が荒れ、子どもたちが学ぶ意欲を失いかけている。地域や家庭の教育力も低下している。
現行基本法が個人・個性重視に偏りすぎているため、「公共の精神」や「規律」「道徳心」が軽視されて自己中心的な考え方が広まったのではないか。新たに家庭教育や幼児期教育、生涯教育などについて時代に合った理念を条文に盛り込む必要があるのではないか。そうした指摘が説得力を持つようになってきた。
改正論議に道筋をつけたのは2000年末、首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が出した報告書だった。基本法見直しが初めて、正式に提言された。
これを受け、中央教育審議会が「新しい時代にふさわしい」基本法の在り方などを答申。与党内でも改正に向けた検討が本格化し、ようやく今年4月、政府の全面的な改正案が国会に提出された。
◆6年にわたる改正論議
この6年、基本法改正については様々な角度から検討され、十分な論議が続けられてきたと言っていいだろう。
その中には「愛国心」をめぐる、不毛な論争もあった。
条文に愛国心を盛り込むことに、左派勢力は「愛国心の強制につながり、戦争をする国を支える日本人をつくる」などと反対してきた。
平和国家を築き上げた今の日本で、自分たちが住む国を愛し、大切に思う気持ちが、どうして他国と戦争するというゆがんだ発想になるのだろう。
基本法の改正を「改悪」と罵(ののし)り、阻止するための道具に使ったにすぎない。
この問題は、民主党が独自の日本国教育基本法案の前文に「日本を愛する心を涵養(かんよう)し」と明記したことで決着した感がある。政府法案は「教育の目標」の条文中に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する…態度を養う」と入れた。むしろ民主党案の方が直接的で素直な表現だった。
ともあれ、改正基本法の成立を歓迎したい。その精神にのっとって、日本の歴史や伝統、文化を尊重し、国を愛する心を育てるような教育が行われることが期待される。さらに家庭、地域での教育も充実されて、次代を担う子どもや若者たちが、日本人として誇りを持って育っていってほしい。
◆関連する課題は多い
そのために文部科学省など政府が取り組むべき課題は山積している。
まずは学習指導要領や学校教育法など関係法規の見直しである。
指導要領は、改正基本法に愛国心や伝統・文化の尊重、公共の精神などが盛られたことで、社会科や道徳の指導内容が変わってくる可能性がある。愛国心などの諸価値は、どれも国民として大切なものだ。子どもたちの白紙の心に、正しくしっかりと教えてもらいたい。
「学力低下」の懸念から、授業時間数や教える内容を増やす必要性も叫ばれている。高校の「必修逃れ」問題では、指導要領の必修科目の設定が今のままで良いのか、といった議論も起きている。
小学校の英語「必修化」論議など暫時“保留”になっていた指導要領絡みの施策の検討が一斉に動き出すだろう。
学校制度の基準を定めた学校教育法の改正、教育委員会について定めた地方教育行政組織運営法、教員の免許法などの見直しも必要だ。安倍首相直属の「教育再生会議」でも検討している。
もう一つの課題は、国と地方が役割分担を明確にし、計画的に教育施策を進めていくための「教育振興基本計画」の策定である。
◆国と地方の役割示せ
「全国学力テストを実施し、指導要領改善を図る」「いじめ、校内暴力の『5年間で半減』を目指す」「司法教育を充実させ、子どもを自由で公正な社会の責任ある形成者に育てる」――計画に盛り込む政策目標案を、中教審もすでに、いくつか具体的に例示している。
国が大枠の方針を示すことは公教育の底上げの意味でも必要だ。同時に、学校や地域の創意工夫の芽が摘まれることのないよう、現場の裁量の範囲を広げる施策も充実させてほしい。
焦る必要はないだろう。教育は「国家百年の計」である。国民の教育への関心もかつてないほどに高い。教育再生会議などの提言も聞きながら、じっくりと新しい日本の教育の将来像を練り上げてもらいたい。
(2006年12月16日1時52分 読売新聞)
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/061216/shc061216001.htm
【主張】教育基本法改正 「脱戦後」へ大きな一歩だ
教育基本法改正案が参院本会議で可決、成立した。現行の教育基本法が占領下の昭和22年3月に制定されて以来、約60年ぶりの改正である。安倍内閣が掲げる「戦後体制からの脱却」への大きな一歩と受け止めたい。
改正法には、現行法にない新しい理念が盛り込まれている。特に、「我が国と郷土を愛する態度」「伝統と文化の尊重」「公共の精神」「豊かな情操と道徳心」などは、戦後教育で軽視されがちだった教育理念である。
一部のマスコミや野党は愛国心が押しつけられはしないかと心配するが、愛国心というものは、押しつけられて身につくものではない。日本の歴史を学び、伝統文化に接することにより、自然に養われるのである。
学習指導要領にも「歴史に対する愛情」や「国を愛する心情」がうたわれている。子供たちが日本に生まれたことを誇りに思い、外国の歴史と文化にも理解を示すような豊かな心を培う教育が、ますます必要になる。形骸(けいがい)化が指摘されている道徳の時間も、本来の規範意識をはぐくむ徳育の授業として充実させるべきだろう。
家庭教育と幼児教育の規定が新設されたことの意義も大きい。近年、親による児童虐待や子が親を殺すという痛ましい事件が相次いでいる。いじめや学級崩壊なども、家庭のしつけが不十分なことに起因するケースが多い。親は、子供にとって人生で最初の教師であることを忘れるべきではない。
教育行政について「不当な支配に服することなく」との文言は残ったが、教職員らに法を守ることを求める規定が追加された。国旗国歌法や指導要領などを無視した一部の過激な教師らによる違法行為が許されないことは、改めて言うまでもない。
同法改正では、民主党も対案を出していた。政府案と共通点が多かったが、与党との修正協議に応じず、改正そのものに反対する共産、社民党と歩調を合わせたのは、残念である。
安倍晋三首相は、日本人が自信と誇りをもてる「美しい国」を目指している。国づくりの基本は教育である。政府の教育再生会議で、新しい教育基本法の理念を踏まえ、戦後教育の歪(ゆが)みを正し、健全な国家意識をはぐくむための思い切った改革を期待する。
(2006/12/16 05:56)
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