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2007年2月16日 (金)

自転車はどこを走ればいいの?

[寸太] 自転車はどこを走ればいいの?
[寸胴] 自転車は「軽車両」っていう、車の仲間なんだよ。だから車とおんなじで車道を走んだ。この前見たツール・ド・フランス、覚えてるかい?山あり谷ありのコースをチーム一丸となって駆け抜けてて格好良かっただろう?最高時速50キロは軽く超えてるんだよ近くの川辺に土管があるだろ。あんな障害物を地面に足を着けないで越えてゆく、バイシクル・トライアルって言うのもあるんだ。おじさんも高校生の時には、おばちゃん原チャリをよく追い抜いたものさ(遅刻だ~)。

[寸太] でも…みんな歩道を走ってるよ。みんな悪い人なんだね。
[寸胴] いやいや、「歩道を走ってもいいよ」という所が多いから、悪くはないんだ。そこにある親子と自転車が書いてある丸くて青い看板が付いてる所だけはいいんだよ。

[寸太] だけどあの看板、あんまり見たことないよ。それに歩道は歩いてる人がじゃまだし、デコボコがあって嫌いなんだ。それに歩道がない道や狭い道はどうするの?
[寸胴] そうだね。だから、「歩道を走ること」じゃなくて「歩道を走ってもいいよ」なんだ。歩道を走るなら、歩いている人の邪魔になったり、迷惑をかけそうなときは止まるか、降りて歩かなくちゃいけないんだ。

[寸太] それじゃ自転車が面白くないじゃん!
[寸胴] それに、こんどは法律が変わって、歩道を走らなきゃならないらしいんだ。肩身狭いね…

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と、云う訳で、道路交通法が改正されて「自転車の車道通行が(一切?)禁止される!?」という風説が流れているらしい。
自転車:「車道通行禁止」は誤解 警察庁が広報強化へ(毎日)
改正試案は 警察庁HP で見当たらなかったので、
「自転車の安全利用の促進に関する提言」  を確認した。

毎日の記事にあるように、【「特に危険な場合は、(自転車の車道の)通行を禁止する」との規制例】が誤解の元らしい。

しかし提言に、たしかに「道路の自転車通行を禁止する」と書いてある。

【○ 自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずること
など、個々の道路について交通環境の変化に応じた交通規制を実施するよう配慮する必要がある。】

 この文が誤解を招いたのは、 【特に危険な場合】が直感的にイメージしにくい ことがあるようだ。
 また、この例示の前提に 『歩・転・動 の三者が分離された通行空間(道路整備)が確保されたなら』 というのがある様なのだが、読解困難かなぁ。寸胴の誤読かなぁ…
 それに、だいぶ前の方に【車道における自動車の通行量が多く、自転車の車道通行が著しく危険である場合も少なからず見受けられる】という記述があるので、自転車好きには『道路環境が今のままで、歩道に押し込められる!』と解釈されたのかも知れない

 この誤解も今まで迫害され続けてきた自転車好きにとっては無理もない。私が自転車に乗っていて常々感じているのは

人は車を運転すると、自転車を見たら「追い越さなければいけない」という強迫念虜がある らしい。すぐ先の信号が赤になったばかりだったり、渋滞してたり、狭い道で、もうすぐ広くなるのに追い越そうとする車って多くないですか? 無理に抜かさんと、アクセル離してそっとブレーキに足乗せればいいやん。。。どうせ抜き返されるんだから

停止線や「止まれ」標識の位置で一時停止する車が殆どいない! 踏切前の一時停止もダラダラで前の車にひっついてるし! 踏切で一時停止しなくても良い例外、知ってますか?踏切の向こうに自分の車がはいる場所ありますか? 窓あけて音で…これは私もようやらない(++)

・脇道から大通りに出るとき、大通りの歩道の「手前で」一時停止しなきゃダメよ!見通しが良くてもやる。習慣にする の。人のいない歩道を30キロ超で自転車が来るんですからね。

 『一時停止義務違反』取り締まり強化を先に やって下さいね。おまわりさん。お願いします。
強弱混在している時は弱者に合わせる。それが強者の誇りであり、ゆとりじゃないですか。

提言では、自動車の順法意識向上について、
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(3)車道における自転車と自動車との共存、歩道における自転車と歩行者との共存を図るため、自転車利用者に対してだけでなく、自動車運転者や歩行者に対しても、自転車の通行ルールや事故実態等について教育・広報していくべきである。
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と、ありますね。淡い期待を持っていいですか?
でも、厳罰化は問題を隠すことにしかならないの法則、交通いじめでも当てはまると思います。

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コメント

散歩が好きなぼくは、横柄な自転車によく出くわします。自転車は一時停止もしない人が多いの。
強弱混在している時は弱者に合わせることが大切なのではありません。弱者を思いやる気持ちが必要なのです。それが強者の誇りであり、ゆとりじゃないですか。

投稿: さんぼ | 2007年2月16日 (金) 22時38分

 たしかに自転車の法規無視・無知、横暴・暴挙が目に余る現実は、「提言」の中でも数多く指摘されています。
 わたしも、その事を無視しているわけではありません。もう一度、お話しを読み返してみて頂けませんか?

 車の一時停止無視や無謀運転が低減されないと、いくら自転車・歩行者のモラル・マナーが向上したところで、社会的な利益は誤差程度(≒0)しか得られないのです。この事は「提言」やマスコミ報道では全くと言っていいほど触れらません。運転免許の更新に行っても、それを感じます。

 【弱者を思いやる気持ち】を具体的にどう表すのか、の第一歩が【弱者に合わせること】ではありませんか?

投稿: 寸胴 | 2007年2月17日 (土) 05時48分

寸胴さん、こんばんは。

>自転車好きには『道路環境が今のままで、歩道に押し込められる!』と解釈されたのかも知れない

うん十年前に、東京を自転車で抜けていったことがあるんですけど、何回か警官に呼び止められて「歩道を走りなさい」と指導されたことがありました。あんながたがた歩道、走りにくいったらありゃしないです。しばらく走ってまた車道に復帰してました(爆)。
それ以来機会はないのですが、今はどうなっているのでしょうか。
なんか、警察の恣意的な運用が心配です。

>人は車を運転すると、自転車を見たら「追い越さなければいけない」という強迫念虜がある らしい。

私は車は運転しない人なので、うすうす感じてた程度なのですが、やっぱりそういうのがあるんですかねえ。

>すぐ先の信号が赤になったばかりだったり、渋滞してたり、狭い道で、もうすぐ広くなるのに追い越そうとする車って多くないですか?

自転車に乗ってるほうとしても、渋滞している車列を追い越していくのは、ビクビクすることがありますね。後が怖いというか。全部が全部そうではないとしても、できればさっさと角を曲がりたくなりますね。

>人のいない歩道を30キロ超で自転車が来るんですからね。

それはそれで、怖い気も^^
私は車道でも20キロ以上出すことはあまりなく、ちんたら走っておりま~す。

>強弱混在している時は弱者に合わせる。

寸胴さんのご提言には大賛成です。私も歩道通過時にはよくよく気をつけたいと思います。

分散するのもなんなので、勝手ながら『これだから困る「しっぽフリフリ御用懺悔知らず新聞」』のレスをこちらにまとめさせて下さい(ご迷惑でしたら仰って下さい。以後改めます)。

>ハタザクラ(長勝院旗桜)

素敵なホームページのご紹介ありがとうございました。こんな桜があるとは、びっくりしました。
世界は広いです。

>ちなみに電話帳に載っている姓で「寸胴」「寸」はゼロ件でした。

あったとしても相当珍しい性ですよね。ところで「寸胴」というHNはどうしてお付けになったのでしょう。差し支えなかったらお教え下さいませ。ちなみに、私は「すんどう」(アルファベット打ちですが)とタイプして変換しています(正しくはないのですが柔らかい感じがするので^^)。

投稿: ペリフェラル | 2007年2月19日 (月) 22時03分

>自転車・歩行者のモラル・マナーが向上したところで、社会的な利益は誤差程度(≒0)しか得られないのです。
当然ながら私の主張は、自転車・歩行者のモラル・マナーを向上させるべきだと、言いたいのではありません。
弱者に合わすことが大切なのではなくて、思いやることが、より大切だと言いたかっただけです。(弱者に合わす事は不必要という事とは違います。)
車と自転車の関係では、車が強者となります。歩行者と自転車では、自転車が強者となります。仕事で急いでいる歩行者と、休日でのんびり散歩している歩行者。休日でのんびり散歩している歩行者と足の不自由なご老体の歩行者。足の不自由なご老体の歩行者と盲目の歩行者。・・・
道路で最強の車は盲目の歩行者に合わすのでしょうか。合わすとはどのような行為なのでしょうか。何を合わすの?何に?最弱の人に?
車や自転車や歩行者等が、一時停止することは、盲目の歩行者に合わすという行為でしょうか。車や自転車や歩行者等が、一時停止することは、弱者を思いやって、停止する行為だと思います。
私には、この道路での弱者と強者の事例では、以下の言葉は、いまだ、理解が出来ません。
【弱者を思いやる気持ち】を具体的にどう表すのか、の第一歩が【弱者に合わせること】ではありませんか?


投稿: さんぼ | 2007年2月19日 (月) 23時44分

さんぽさん、横レス失礼いたします。

>強弱混在している時は弱者に合わせる。(寸胴さん)
>合わすとはどのような行為なのでしょうか。何を合わすの?(さんぽさん)

私は、「弱者に合わせる」とは「相手(弱者)の都合にできるだけ合わせる」のような意味で読みましたけど、違うのかな? 当然、ベースに思いやりの気持ちは入ってると思いますが。
「弱者の都合」とはここでは、「辞書的定義の【物事をするに当たっての事情。具合。】に適した対応として、[弱者が望むこと](気を使ってもらえるとか、してもらえると嬉しく好ましいことで、潜在的要望が主)であります。場合によっては権利と化することもあります。
で、相対的強者は、できるだけ(限界がありますから「できるだけ」です)「弱者の望みを忖度して、それに合った行動をとって下さいよ」という含意があると思います。

まあ、「弱者に合わせる」はフレーズとしては短過ぎて、いろいろ補って読まなければいけないということはありますね。寸胴さんのお考えと私と、どの程度一致しているのかな?という不安もありますが^^

>車や自転車や歩行者等が、一時停止することは、盲目の歩行者に合わすという行為でしょうか。車や自転車や歩行者等が、一時停止することは、弱者を思いやって、停止する行為だと思います。

まず、このエントリで論じられている車の一時停止は、第一義的には交通法規を守れという話なのであって、「思いやり」云々以前の問題でしょう。
それ以外の「車や自転車や歩行者等」の一時停止については、「弱者を思いやって、停止」でも「盲目の歩行者の都合に合わせて停止」(←補強文)でも、どっちでも大差ないと思いますけど。

投稿: ペリフェラル | 2007年2月20日 (火) 08時06分

>まあ、「弱者に合わせる」はフレーズとしては短過ぎて、いろいろ補って読まなければいけないということはありますね。

そうですね。以下の例はとても意味がわかりづらいですね。

歩行者は、車も自転車もいっぱい走っている道路の真ん中を歩くべきありませんね。
弱者である歩行者は、強者(自転車や車)に合わせて、歩道を歩くべきです。

投稿: さんぼ | 2007年2月24日 (土) 22時27分

さんぽさん、レスをどうも。

>歩行者は、車も自転車もいっぱい走っている道路の真ん中を歩くべきありませんね。
>弱者である歩行者は、強者(自転車や車)に合わせて、歩道を歩くべきです。

なるほど、確かにその例は分かりづらいですね。
でも、寸胴さんのあのケースでの「合わせる」は「(強者が)弱者に」という非対称的な関係性の前提が付いていたから、文脈依存的に「ああ、おっしゃりたいことは、だいたいこんなことなんだろうなあ」ぐらいに読めたわけです。
さんぽさんが、そのように「合わせる」をお使いになるなら、「思いやること」も同じように使ってみないとフェアではないですよ。
つまり、

歩行者は、車も自転車もいっぱい走っている道路の真ん中を歩くべきありませんね。
弱者である歩行者は、強者(自転車や車)を思いやって、歩道を歩くべきです。

私には、これも分かりづらいですね。
本来、歩行者は道の真ん中を堂々と歩いていて良かったはずです。別に、「強者に対する思いやり」の気持ちがあるから、歩道を歩いているのではありません(*1)。危ないから安全のために歩道を歩いているだけです。
上の例でも、歩行者は安全(とルール)のために、「歩道を歩くべき」というだけの話でしょう。

諄いようですが、最初のコメントについて再説します。
私が違和を感じたのは、「弱者に合わせる」に対する突っ込みとして、どちらが「より大切か」という比較対照的な価値倫理として、「思いやること」を持ち出されたことです。
この場合での「思いやること」は、「弱者に対して(思いやりを持って)合わせる」のように、補完的に組み込めばすむことだからです。

*1
世界は広いですから、中にはそういう人もいるかもしれませんが^^
なお、強弱関係なく「人として」の思いやりはあり得ますが、それはまた別の話です。

投稿: ペリフェラル | 2007年2月25日 (日) 19時54分

弱者である歩行者は、強者(自転車や車)に合わせて、歩道を歩くべきです。
より、
弱者である歩行者は、強者(自転車や車)を思いやって、歩道を歩くべきです。
のほうがとてもわかりやすいですね。
なぜなら、歩行者である私は、自分の安全の為やルールを守るためだけの為に、歩道を歩いてはいません。自転車や車の運転者の事をも思って歩いています。自転車や車の運転者である強者のことも思いやってです。自分勝手に自分の安全やルールだけの為には歩きませんね。
ましてや、自転車や車の運転者である強者に合わせているのではありませんね。

弱者である歩行者は強者(自転車や車)にたいして(思いやりを持って)合わせて歩道を歩く、と「思いやりをもって」と補完しても意味が不明です。
私はこう思います。
強弱混在している時は弱者も強者もお互いに思いやりを持つことが必要です。
下記のようには思いません。
強弱混在している時は弱者も強者もお互いに(思いやりを持って)合わせる事が必要です。

投稿: さんぼ | 2007年3月13日 (火) 22時44分

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