2007年5月 3日 (木)

ならば算数教育も国語教育も全部やめるべきだ

 中央教育審議会会長山崎正和が発言した。個人的な見解だが『現在の道徳教育もいらないと思う』『歴史教育もやめるべきだ』

 前者の道徳教育不要論には八割方賛成である。
寸胴も過去に、
『教育体質の改善を図れ』 l (2006.11.30)
『教育基本法に自信があるなら解散総選挙を』 (2006.12.15)
『だから「道徳」は廃止しよう』 (2007.4.26)
などで、自身が受けてきた学校教育と現行の「道徳」科目や「倫理社会」科目の限界と弊害について記した。

 しかし、単に廃止してその分の時間を他の教科、特に算数・数学や国語に割り振るのなら反対する。自分の在任中に『学力テスト』の平均が上がって、諸外国との比較で優位になることが目的なのかと、勘ぐりたくなる。いったい教育の顧客は誰なのか?

 更に『歴史教育もやめるべきだ』というなら
現在の算数教育もいらない と思う。算数は教科で教えることではなくて、教師が身をもって教えること。親も含めて大人が教えることだ。勤労と買い物をしないで金銭勘定が身に付くか!」
現在の国語教育もいらない と思う。国語は教科で教えることではなくて、教師が身をもって教えること。親も含めて大人が教えることだ。教科書用の子供だましの死んだことばは意味がない!」
現在の理科教育もいらない と思う。理科は教科で教えることではなくて、教師が身をもって教えること。親も含めて大人が教えることだ。元素記号(原子記号じゃないよ)を知らなくても生活にこまらん!」
現在の…
すべて要らないことになる。

 そんなことだから、安呆倍三のご都合主義で集められた御用学者集団『教育再生会議』なるものにバカにされ、蚊帳の外に置かれてしまうのだ。

 その一方で、実生活では使うことのない英語(正確にはアメリカ合州国語)を小学生にまで強要しようとしている。いや、もう始まっている。アメリカの植民地政策に迎合しているとしか考えられない。

 今の児童・生徒が何をどの様に悩み、苦しんでいるのかを切実に感じている人に会長のイスを渡して、ご自身は勇退されては如何か。

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2007年2月 6日 (火)

『せいては事を仕損じる』誰が気付くか毒薬処方

 自分の人権意識や歴史認識が歪んでいる事には聞く耳持たずに、仮死状態との診断書をでっち上げて、毒薬作りを公然と指示する。治験もヘッタクレもない。我に間違いはない。善悪・美醜の基準は我にあり。生めよ増やせよ富国強兵、必要なのは従順な愚衆だけ。ほかのは粗悪・欠陥部品だ切除せよ、排除せよ。我が診断・処方は断じて間違いはないのだ。早く新薬、持ってこい。

 いったい誰がこんなヤカラに診断書を書かせる権限を与えたのだ。え?誰も与えてない?勝手にやってるだけ? それでも新薬開発は門外漢でしょうに。越権行為はイカンよインフォームド・コンセントって知ってるかな? カタカナ言葉大好きみたいだけど、知らんのだろうなぁ

 再生再生って、一番よかったときがいつで、崩壊とする基準が何で、崩壊率・崩壊度がどの位か、具体的数値は知らされてないわ。学力テストの点数?設問がはちゃめちゃなのは有名よ。学級崩壊の例を幾つか挙げて「全てが崩壊している」とすり替えていることに乗客みんな気づいてるのよ。運転手さん。

 こんな運転手をまっさきに懲戒免職・免許剥奪して再教育しないで誰のクビ切るの?運転手じゃなくて管制官だって?官製寒の間違いでしょう。もっと始末におえない。愚衆が愚痴ってもロバの耳には届かない。お医者さん、薬剤師さん、弁護士さん、校長はじめ教職員ほか先生方、公務員の方、ブログをお持ちの方々、報道機関の方々、そして良識ある、聞く耳を持つ代議士の先生方、どうぞこの暴走列島にブレーキかけてください(●●●)|

 改正教育基本法の魔の手が忍び寄っている。不祥事はカネと謝罪で再チャレンジしますって?法定速度が60キロだからって、生活道での無謀運転はいかんのよ。自分だけは大丈夫、と安全速度義務違反や一時停止無視しちゃだめ。乗客が乗り物酔いする運転もプロとしては失格。パンクしたタイヤはまず取り替えてよ。修理はそのあと。修理不能のパンクもあるのよ。

 飛行機・船・電車・バス・タクシーなら「乗らない選択」もあり得るけど、今の世界で「国」には強制的に乗せられているのだから無自覚無謀運転手を誰か止めて!!もう胃液さえ出尽くした。。。

   ネタ記事は こちらこちら です。一応 ↓ に乗せます。

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2007年1月30日 (火)

いじめられている人とご家族の方、先生への手紙

いじめられている人へ
 自信なんか持たなくていい。がんばらなくていい。がまんしなくていい。根性なんかなくていい。ゆうきなんかなくていい。いじめっ子が幸福か不幸かはあなたに関係ないこと。
 まずはとにかく、避難(ひなん)してください。にげてください。
 学校にいるときなら保健室へ。保健の先生に話をしてみてください。ゆっくりと。つぎの日、教室に入るのがこわかったら、また保健室へ行ってください。

ご家族の方・先生へ
 まず、お子さんを信頼してください。お子さんのつらさを共有してください。根ほり葉ほり、詰問(きつもん)するのは後でもできます。そっと抱き寄せて、感じてください。
 励ましたり、激励したり、「だいじょうぶ?」「元気出して」と言わないでください。心配な顔をしないで暖かく受け入れてください。
 学校に相談するのも抗議しに行くのではありません。
 クラスで、時間をかけて話し合ってください。犯人探しではなく、どうすればみんなが心地よいクラスを作っていけるかを。

その、やわらかな心を大切にしてください。

投稿 寸胴 | 2007/01/29 23:19:19

さきほど、 こちら  へコメントしました。元記事を否定するようなコメントなので削除かなぁ

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2007年1月29日 (月)

重要な視点が抜けている「給食費滞納問題」~社説批判~

 公立学校での給食費滞納が社会問題となっているらしい。毎日新聞が、1月26付け社説で論じている。
しかし、重要な視点が抜けていないか? 記事は滞納理由を【学校の認識だと】で片づけている。その裏付け取材はしていないのだろうか。これでは大本営発表と大差ない。

その、学校の認識だと滞納の理由は
  保護者の責任感や規範意識 60%
  経済的理由 33%
  (引き算で)その他 7%

と、ある。そして、保護者の意識=【明らかに支障はないのに踏み倒し同然に滞納を続け、請求に対し居直ったりする保護者】と決めつける。取材の裏付けがあるのか、伝聞による推測なのか、明確にしてほしい

 たしかに、子が、他の子と同様に給食を食べているにもかかわらず、納入の督促をするとその場限りのような言い訳を繰り返したり、居直って怒鳴り出す親もいるだろう。しかし、1%×60%=全体の0.6% の多数がそうである確証はない。たまたま1~2ヶ月振込を忘れた場合も含まれているのではないか(奨励・是認するつもりはないが)。督促する方も、電話・口頭で済ましてはいないか。それは事なかれ主義だ。失礼のない書き方で文書で督促するだけでも、効果はあるはずだ。雛形一つ、作っておけばよい。

 一方、学校判断の「偏食」が体罰になっていないだろうか。私は殆どの食べ物が好きだが、学校給食でどうしても食べられなかった事が1度だけある。その時は、給食後の休み時間と、掃除の時間が終わるまで「その」食べ物とにらめっこしていた。掃除が終わる頃、ようやく先生が『残していいよ』と言ってくれた。私には残すという概念がなかったのだ。今でも覚えている。もう30年以上前だが…。マズイものはマズイのだ。

 オトナが偏食と決めつける、嫌いな食べ物・食べられない食べ物もその本人の自然な防御反応であることをオトナは知るべきだ。昔からハンバーグやカレーに細かくして入れたりする工夫はある。

 しかし、細かく混ぜ込む工夫を「してはならない」場合を忘れてはならない。食物アレルギーだ。
当たり前だが、本人の意志とは関係なく、アレルギー反応は起こる。食べなくても、触れただけで危険な場合もある。その場合、毎日弁当を持たせる事が多い様だが、その場合も『平等』に給食費を徴収していないだろうか。決まりだから、と督促されて多くの人が要らぬ負担を強いられていないだろうか。

 いわゆる公式発表を鵜呑みにして、同じ観点だけからしか論じないのは大衆報道として失格だ。誰かが言っている「規範意識の低下」にお墨付きを与える社説に危機感を覚える。

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2007年1月11日 (木)

避ける努力と逃げる勇気

「私は政治のことなんかなーんにもわからない人間です。何が『美しい国』やら知らないし、安倍政権の安倍の字だって間違える。でも、ここ数年の間に日本は随分勇ましい国になったとは思います。国策だの愛国心だの、そんな言葉が軽く使われるようになった。あっという間にね。だから、あんな『非国民』の歌も歌った方がいいのかなと」 と、加川良(1947- )は語る。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070110/mng_____tokuho__000.shtml
私たちの「美しい国へ」<7> 非国民の精神 ■フォークシンガー加川良氏 

高石ともや、岡林信康らが「反戦のために戦おう」と呼びかけるのに対し、彼は「尻込みしなさい、逃げなさい、隠れなさい」と歌った。1970年の事である。それから三十余年、今も歌い続ける。

時は戦国時代、武将達は何度となく戦を仕掛けた。今で言う民兵として農村からも兵が出た。みな、お里のために戦った。名将であるか否かは「引き際」をわきまえているかどうかだと、私は思う。更に、争い・戦を避ける努力をできるかどうかも重要だ。

敗戦後、日本は「永久に武力による紛争解決はしない」「武力による威嚇はしない」と世界に宣言した。その後、戦勝国であり、侵略威嚇強大アメリカの意のまま、永久の誓いを墓地に葬り、覆い土をしてきた。

相撲は「国技」とされている。裸で一対一で対戦する。これは武器を隠し持っていない事を互いに示し、持てる力と技の限りを尽くして戦う、そんな精神によるものと聞く。昔は相撲で集落同士の諍いに決着を付ける事もあったという。男尊女卑や生理学的に無理して体を作るなどの弊害は別にして、『武器を持たない』という精神は大切にしたい。
これぞニホンの心だ(相撲と類似した競技が他国にもあることは重々承知している)。

戦うことが、カッコイイんじゃない。迷彩服は格好悪い。軍服は威圧的だ。足並み揃えての行進は寒気がする。
『重大な決定・決断はできるだけ後回しにする』のも自尊心を傷つけられるかも知れないが重要な知恵だ。
戦わないことがカッコイイんだ。毅然として戦わない。それが強い心だ。逃げる勇気、避ける勇気、不安に胸を張る勇気。胸を張らなくてもいい。不安・心配を周りの人にうち明ける勇気。それに気づき受け入れる感受性。

戦争を怖いからと逃げる勇気。小さな声でも訴え続けたい。

(ご感想コメントお待ちしてます。尚、元記事全文引用は今回はしません。リンク先をご覧下さい。また、本ブログを二次利用なさった場合はご一報下さるとうれしいです。)

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2007年1月 4日 (木)

教育革命元年~国家による統制に服従を~

政府と教育「再生」会議の目論見が少しずつ形になってきた。
 1.社会人教員(免許非取得)の増員 50人/年-10年→500人/年 (全国)
 2.不適格教員の排除徹底
 3.塾の禁止
 4.いじめ問題の責任転嫁 → 「社会総がかり」で取り組む必要がある(政策の責任ではない)

 民間企業での社会経験者を教職員に採用すること自体は賛成だ。しかし、優秀な人材を確保するためには相当の対価が必要なことを忘れてはならない。また、例えば短大卒なら2年、大卒なら1年の実務経験と、校長推薦で教員免許を付与するなども必要だ。さらに、現職の教員にも他科目の免許を業務として取得できる様な制度も考えられる。
 学問の進化過程を考えると、「宗教・哲学」に始まり、哲学が自然哲学人文哲学に分化した。その後に自然科学人文科学に発展し、それぞれが細分化して現在の学問体系が形成されてきた。しかし、この数十年で「学際的分野」が重要視され学問体系の再編成が進んでいる。例えばコンピュータのプログラム「言語」は数学系の人が得意とされているが、実は「論理思考」と「例外予知能力」が重要だ。情緒や感情論のみを得意とする「古典的言語学者」には手も足も出ない。
 学校教育課程にもそれが影響しており、専門科目にとらわれない「総合学習」や「情報科」などが設けられてきた。しかし、学習の目的が発散していることが多いようだ。科目の新設時に十分な準備がなされたか、今こそ検証すべきだろう。また、大学の教員養成課程や新任者への教育体制が時代の変化に適応しているかも問われなければならない。

 これらの検証なしに「不適格教員の排除徹底」はできないはずだ。そもそも「不適格教員」と烙印を押せるのは誰なのか。教員として採用した以上、その個人の適性を見極め、必要な教育の機会を与えるのは採用した側の義務である。真面目でやる気のある新人を雑務で忙殺し、壁に当たったら蹴落とす、そして心身を壊して辞めてゆく。自分に絶望し「自殺」する。なぜ「生き甲斐のある職場としての学校」を作ろうとしないのか。私は不思議だ。社会人枠の確保が目的だとしたら、本末転倒だ。現状で「生き生きと」働いている優秀な人材が応募するはずがない。

 更に「塾の禁止」も、塾で生き生きと働く先生の職を奪い、学校で安価に雇い入れるためかと考えたくなる。
教育再生会議の野依座長は
「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子どもは禁止にすべきだ」
「我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」 (以上、日経12/24 7:00)
と、強行に主張している。
 教育は社会が未来のために行う「投資」という側面を持つ。大学附属小→天下の灘中高→京大という経歴を持つ野依氏にとっての「我々」「普通」はレベルが非常に高いのだろう。庶民は食費を削ってでも塾に通わせているのに。戦後の「前半」に小中学校に通っていた私は塾通いをしていた。教科別・習熟度別にクラス分けされていて、授業内容もよく工夫されていたためか、学校よりおもしろかった。しかし、当時の先生は塾通いにいい顔をしてくれなかった。今も先生の意識は変わっていないのだろうか。
 この「野依発言」については、
http://supplementary.at.webry.info/200612/article_5.html
論理破綻し、滅茶苦茶な野依良治座長の発言   作成日時:2006/12/24 15:38
でも論じられている。参考にされたし。

 最後に「いじめ問題」。『「社会総がかり」で取り組む必要がある』イコール『政策の責任ではない』と責任転嫁してしている。過去に私は「栃木の食品卸売会社新入社員自殺労災認定に寄せて」で次のように述べた。

文部科学省は「いじめ」の要件として次の3項目を同時に満たすことを要求している。

(1)自分より『弱い者』に対して『一方的に』
(2)身体的・心理的な攻撃を『継続的に』加え
(3)相手が『深刻な』苦痛を感じている        (『』付けは寸胴)

あくまで「いじめる側の視点」だ。この定義によるといじめた側は「自分は強くない」「一方的じゃない」「継続的じゃない」「深刻じゃない」いずれか一つを証明できれば無罪放免となる。逆にいじめられた側はこれら全てを立証しなければならない。なにかおかしくないか?
いじめられる側はそれを「いじめ」とも思わず「身体的心理的な苦痛」を感じ、自分を叱責し、時に死を選ぶ。

自殺した子供の御両親が、学校の先生に罵声を浴びせるかの如く悲しみ苦しみを訴える姿は見るに忍びない。学校側は責任を認めたくないのか謝罪せず唯々うなだれてそれを聞く。親としては誰よりも先に我が子の異変に気づき、守ってやりたかった、そんな悔しさもあるだろう。しかし、信頼していた学校に裏切られた苦悩は計り知れない。学校がご遺族や他の被害者の立場であらゆる要因を調査・公表し、どうやって信頼回復を図ってゆくのか、具体的に計画し、進捗を報告して行くことが必要と思う。校長や一教師をクビにしても問題解決にはならない。

 学校に限らず大人社会でも意見の衝突、見解の相違、弱者への迫害などはある。色々な技術の進歩で便利になった気がするが、道具に使われて「気持ちのゆとり」が失われてきた。健康な人は世の中全ての人が同じ程度に健康だと錯覚する。「それがフツウでしょ」と。車を運転するときバイクや自転車、歩行者は邪魔者扱いだ。トラック・ダンプからしたら軽自動車など虫けら同然。シニアカーや車椅子で歩道を行こうにも幅が狭く段差がきつい上、電信柱や自転車で走りにくい。でも先を急ぐ歩行者には邪険にされる。

 学校ではまず「子供だけにしない」事が急務だ。そのために「複数担任制」を来年度から実施してほしい。休み時間、放課後も子供が学校内にいる間は誰かが目の届くところにいる。いつでも相談にのってあげられる。それくらいの「気持ちのゆとり」教育が求められているのではないか。児童・生徒に上っ面の「ゆとり」を与えようとしてみたが、滑ってこけた。しかし「良かった点」も見つけてほしい。ゆとり教育が「失敗政策」としても、その『失敗』から学ぶべきものは多いはずだ。元に戻せと懐古的発想に陥る愚だけは避けなければならない。

We shall overcome.............some day...................

以下、「続き」に参考URL

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2006年12月25日 (月)

洗脳準備一歩前進~新しい戦前へ~

作った人の顔が見えないまま「改正教育基本法」が成立し、「防衛省」法案も成立した。『新戦争4法案』の残り2つ「改憲国民投票」「共謀罪」は継続審議となったが、次期通常国会で早期に通過が懸念され、予断を許さない状態が続く。

「上意下達を拝領せよ」「滅私奉公」「太いものには巻かれよ」「年長者の意見には服従せよ」「代議員過半数の意見が全体の意志」「公権力は間違わない」「黙って俺に付いてこい」…… これらが美しき伝統だ。文句のある奴は出て行け。勘当だ。勿論「家長に反抗するなど以ての外」

「権利」から「義務」へ、「国の責任」を「個人の責任」へ、「個人の成果は国のもの」。一度誉めりゃ後は自己責任、自業自得と心得よ。

「大東亜共栄圏だけでなく全世界の平和のため、反体制・反米勢力の殲滅に尽力できる軍隊」を指揮下に持つ防衛省昇格も決まった。民主党も賛成して、である。最高顧問とやらは教育基本法は「対案路線を崩したことが敗因」と考えているようだがお門違いも甚だしい。心情としては将来権力を握ったときに疲弊した愚衆を操作したい気持ちがあるのかも知れない。しかし、仮に自公過半数割れの際には、野党共闘による政権奪取ではなく、「自・民」政権構想を描いているのではないか、そんな憶測が生まれてくる。かつての社会党が凋落したことを忘れて。

記事は、読売2件/ゲンダイ/東京/朝日/読売(解説)/毎日(解説)/朝日(解説)(抗議行動)(抗議声明)
社説 毎日/東京/北海道/沖縄タイムス(2日分)/琉球新報/朝日/読売/産経  計19本

教育基本法与党案成立と公布・施行を伝える記事、そして社説9本。
読売の記事では民主党「最高顧問」の談話が伝えられている。党首が代わった時点で全ての「対案」を撤回し、与党に対抗でき、他の野党にも賛同される「野党案」を策定していれば、流れは変わったかも知れない。

ゲンダイは相変わらずの毒舌。『来年、日本は世界の中で孤立する』この予測は残念なことに的中するだろう。
『今後の教育改革こそが改正成否のかぎとなりそうだ』(毎日)
『来年の通常国会以降、多くの関連法や制度の見直しが本格化する』(朝日)

以下、数紙の社説を見てみよう。多くの新聞が法案成立を警戒・反対の論調だ。ただ2紙だけは「歓迎」で、「左派勢力の反対」「一部マスコミなどの杞憂」が主張されている。反対意見をこれらの「暴言」で封じ込めようとする意図が感じられ、私は不快に思う。特に校長会や教職員の組合などの各種教育団体、学会、世論調査では少なくとも慎重審議を求める声が多かった。「一部」や「左派」とレッテルを貼るにしてはあまりにも大きな「一部」ではなかったか。

全土玉砕寸前の犠牲を払って手に入れた貴重な財産を「古ぼけた」から、負け戦の恥と共に忘れよう!世界の戦争はなくならないから、世界平和に参戦できる「新しい戦前」の時代だ。成長を続けるためには軍需景気が良かったし、兵隊さんも沢山要るから産めよ増やせよ、新富国強兵だ。お国のためなら命差し出してくれなきゃ困るよ。教員は生徒に「考える」暇を与えちゃダメよ。教科書通りに、教えられたとおりに率先垂範しなきゃ。「ガクリョク」下がってるんだからもっともっと詰め込むのよ。学問は苦しいものだから、とにかく暗記。繰り返し「暗唱」して。国の偶章へは直立不動の姿勢が大切。ふらついた回数をしっかりチェックして通信簿に載せること。規律ある式典は軍隊式号令「キョウツケ!」「マエナラエ!」「ケイレイ!」も欠かせないわ。「態度」を評価しなきゃならないんだもの。それが「美しい」のよ。「個性」はいらない。死語辞典に載せなきゃ。

だれもそんなことを理性では考えていない、かも知れない。しかし、本能・感情が世の中を支配してきている現在、杞憂であってほしいと祈らざるを得ない。何に祈ろうか。。。

地球が、そして太陽が崩壊する時まで、人間は生きながらえているのだろうか。

We shall overcome........some day......

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2006年12月17日 (日)

教育基本法再改正への準備を始めよう

 声明
2006年12月15日(金) 教育基本法与党(自民党・公明党)案が参院特別委員会強行採決・参院本会議で賛成多数により可決された。本案に反対を唱えてきた(短い期間ですが)当委員会としては遺憾の意を表明し、賛成議員並びに内閣への批判言動を今後も継続し、世論に訴え、しかる後に現行教育基本法の理念を継承、発展させた次なる教育基本法を制定するべく言論活動を継続する事を宣言する。また、教育基本法は理念法であり、政府は今後、下位法・政令・指針・要領等をこれに基づき新設・改訂する事により法的実効力を発揮させると思われる。この声明に賛同いただける心ある方々に置かれては、新法・新制度等においてに「改正教育基本法」が内閣・与党・行政・地方自治体に悪用されることがなきよう、重大な関心を持ち続けられることを希望する。また、本案が可決された経緯は歴史に重大な禍根を残すものであり、断じて容認できない今後行われるあらゆる選挙において、今回の世論を無視した「成果」を法案賛成者に直接、知らしめる事を併せて希望する
戦いの火蓋は切られた。独裁国家指導者から我が身と心を守り、成長してゆく自己の責任はより重くなった。これを読まれた方が今まで以上に、為政者を監視し、自らの良心に従い積極的な言動をとってゆく事を期待して声明とする。
                                          報道基本法制定委員会  寸胴

 とにかく怒りとやるせなさで重たい気持ちだ。特に民主党!陰で本命の「防衛省」に賛成、「共謀罪」「改憲国民投票法案」ほぼ賛成、で居ながら『与野党徹底対決』『野党共闘』とはどういうことだ。地方選・補選を含めたあらゆる選挙で対立軸を出すはずではなかったか。与党案とさして変わらぬ対案では有権者の賛同は得られないことがまだ分からないのか。与党内の分裂を期待した戦略だったのかも知れないが、見事に惨敗した。いつまで迷走を続ける気だ。野党のリーダーシップをとり、他の野党と共同で「次の内閣」を編成し直してほしい。
 社民党、共産党も情けない。守らなければならないことも分かる。しかし時代は確実に変化している。良きにせよ悪きにせよ変化している。反対連呼超保守党、聞く耳持たず己が正義だアカ党のイメージを払拭して、庶民が期待と希望を持てるように、「今」何をすべきか、立法府の一端に居る間に考えてほしい

今日はニュースを見る気にならないので、他のブログへのコメントとメールニュースらか一件を紹介する。

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2006年12月15日 (金)

教育基本法に自信があるなら解散総選挙を

与党及び教育基本法自民党案を支持する方々へ
「機は熟した」「国民の理解が得られた」と自信があるなら、解散総選挙で確認されたら如何か
参院特別委員会では総括質疑も行わず、首相も欠席の中、強行採決された。やらせタウンミーティングで「民意偽装」「反対意見封じ・抹殺」も明らかになった。これについては別記事にするつもりだが当時の官房長官、現首相はタウンミーティングに要した費用+出席者への賃金を弁償した上で『辞任』すべきだ。タウンミーティング自体をやり直さないと筋が通らない。地方公聴会・中央公聴会で反対・慎重論が続出したがそれに対する反論もなされていない。審議中、国会前は「成立反対」を叫ぶ多くの人で埋め尽くされるだろう。
 それでもなお最重要課題として議論を尽くし、国民の合意形成が得られたと自信があるなら、解散総選挙で民意を問わなければならない。「郵政解散」で成功したではないか。そのおこぼれで強行成立させては未来に禍根を残す。
教育基本法改正案:参院特別委で可決 野党は内閣不信任案】(毎日)
教育基本法案成立へ、59年ぶり改正】(読売)
教育基本法改正案、参院委で可決 野党は不信任案提出へ】(朝日)
中央3紙の見出しは上記の通りだ。読売が見出しで「既成事実」的表現を用いることに、私は抵抗感を感じる。また、朝日が防衛「省」法案を最後に一行、ついでのように記しているのもおかしい。
 教職員の組合が強行採決に対する反対声明を出した。
参議院での教育基本法「政府法案」の強行採決に対する抗議声明】(日本教職員組合)
『私たちは、「政府法案」の強行採決に断固抗議するとともに、参議院本会議で可決・成立させるという暴挙を避け、直ちに審議をやり直すよう強く求める』
政府、与党による教育基本法改悪法案の委員会採決に強く抗議する】(全日本教職員組合)
『参議院議長が教育基本法改悪のための本会議開催をおこなうことのないよう強く要請するものです』

組織率1位と2位の教職員の組合が緊急声明を出しているのだ。現場の教職員が希望を抱けない法律で、どうやって子供に夢と希望を「教育」しろというのだ。答えてほしい

以下、関連事項として、
いじめ自殺:中2女子の両親に修正報告なし 埼玉】(毎日)
教育基本法改正:参院特別委が中央公聴会開催】(毎日)
都教委:未履修科目の受験対策振り替えを容認 補習求めず】(毎日)
社説:履修偽装 白を黒と言いくるめるな】(毎日)
教員意識調査:会社員以上に、仕事に満足感と多忙感】(毎日)
と、毎日の記事が並んでしまった。
 いじめ問題がいまだ隠蔽体質である査証、中央公聴会、東京都立校の「履修偽装=未履修」問題。都は受験のため内容が重複する科目に振り替えた、と説明するが、筋が通らない。補習授業で苦しんでいる他道府県の生徒・親の不公平感を差し引いても違法行為だ。内容が重複しても別の角度から考える、繰り返し学習する事の大切さを無視している。都の生徒・先生から、その機会を奪っている。「受験」と「学習」を切り離して考える事にはあまり賛成できないが、現状の「きまり」は守らなければならない。「伝統・暗黙の了解」以前の「規則・法律」の問題だ。規則が実態と乖離しているなら、規則を変えるかやめるかを主張すべきだ。東京都だけが許される訳がない。
 現行教育基本法を守り、希求できなかった事を棚上げにして、懐古・復古主義となる教育基本法政府案に断固反対する。人間「楽あればこそ苦あり」だ。学びの楽しさを排して『苦行』のみを押しつけるな。唯一救いなのは教職員の意識に「やりがい」がまだ残っていることだ。しかし、残り僅かで殲滅するのは簡単だ。

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2006年12月12日 (火)

堂々巡りの教育「再生」そもそも崩壊してるのか

話が堂々巡りして各自の「主張」の言い合いに終始している。「議論」になっていない。
『教育再生』と言うがそもそも「崩壊」しているのか。いじめといじめによる自殺、不登校、収拾のつかない授業、未履修問題、教職員の過労・自殺、未成年者の犯罪、オトナの犯罪、治安の悪化など、学校に関する問題やそれ以外の社会問題は山積している。しかし、諸悪の根元「教育基本法」と現行教育基本法に全ての責任を押しつけている様では政治屋・有識者として「落第」だ。
散々無視、曲解された挙げ句に「崩壊している」と言いがかりを付けられている教育基本法が何とも可哀想だ。現行法に問題がないとは思わないが、「自民党案」「民主党案」ともに問題を拡大こそすれ、解決策にはならない。ならば「変えない」方がましだ

【新渡戸「武士道」人気 教育基本法改正・反対両派の論拠】(朝日)では改正派が論拠とする新渡戸稲造「武士道」の紹介と、改正派の矛盾点について論じている。是非ご一読願いたい。

次が日本教職員組合の請願デモについて。毎日新聞の記事と主催者ホームページより。
政府与党の長年に渡る「日教祖」「共産アカ党」バッシングには辟易しているが、報道機関の取り上げ方が小さすぎるように感じる。教職員とて労働者であり、人である。当たり前だ。しかし未だ楽職・高給職といった偏見が強い。節度を持った自由な発想で、創意工夫した教育にやりがいを感じる普通の「人」なのに。暗記偏重肥満体学習指導要領に縛られ、ただ時間の経過を待つけの授業で「興味を持ち、自ら調べて考える、創意工夫する」生徒が育つだろうか。
「長幼の序」もあれば「老いては子に従え」もある。
 http://buddha.exblog.jp/3625629/ 歳を重ねるだけで偉くなれるのか?
で、観学院称徳 さんが大変参考になる記事を書かれています。

日教組のホームページで【緊急に財政支出構造転換を 貧困拡大・固定化促す阻む教育施策急げ 公務労協シンポで佐藤学さん訴え 】の一文がある。表題だけ見ると佐藤学東京大学教授が『貧困拡大・固定化を更に促すような教育施策を急げ。もっと貧困拡大するのだ』と主張している様に読み取れる。

にっきょーそさーん、違うでしょーっ。もっと強烈な言葉の蹴り入れなきゃならないのに、取ってくださいと足差し出しちゃダメよ。まったく。もう。

悪法4案「教育基本法」「共謀罪」「防衛省」「改憲国民投票」どれも通過許すまじ。今週の駆け引きと延長国会、来期の国会、仮に法案成立後も反対の意思表明を続けましょうね。心ある有志の方へ。
参院選惨敗→首相引責辞任解散総選挙→野党共闘支持拡大 そのキーポイントが民主党。隠れ自民党親派(ちっとも隠れてないけど)・武力で強い国を目指したい人はとっとと隠居しましょうね。ミサイルは喰えないもんね。

(2006.12.14 日教組HPを確認したところ「促す」→「阻む」に訂正されていました。)

続きを読む "堂々巡りの教育「再生」そもそも崩壊してるのか"

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